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概要

事務局

〒929-1126
石川県かほく市内日角井1番地
石川県西田幾多郎記念哲学館内
TEL 076-283-6600
FAX 076-283-6320

info@nishida-philosophy.org

西田哲学会 趣意書

時代を超えて読み継がれてきた西田哲学は、近年になって日本国内のみならず、諸外国においても、その研究者や文献の数が飛躍的に増加しつつあります。これら内外の新しい研究動向において、西田哲学は、現代の哲学思想という文脈のもと、新しい可能性を蔵する宝庫としての姿を現わしつつあります。そして宗教学や倫理学はもとより、精神医学や美学・芸術学、建築学、といった異領域からも大きな関心が寄せられ、多方面に影響を及ぼしつつあります。西田哲学研究はこれらの奥行きと拡がりとを得て、今後ますます豊饒な成果をあげていくことが予想されます。
先に燈影舎より刊行された『西田哲学選集』は、世に広く受け入れられましたが、それに続き、このたび岩波書店から『西田幾多郎全集』の新装版が刊行されつつあります。西田哲学の新たな研究機運は、これらによってさらに醸成されていくことでありましょう。
さらに特記すべきことは、西田幾多郎という「人」とその「思想」への関心が、狭い意味での学術研究のレベルのみならず、一般教養層においても、否、こういった広い知識人層おいてまさに、かつてない広がりを見せていることです。平成十四年六月に西田幾多郎の生まれ故郷・石川県宇ノ気町にオープンした「石川県西田幾多郎記念哲学館」は、こういった関心をもつ人々の出会いの場となり、平成十五年二月現在、すでに入場者が三万六千人を超えました。
奇しくも昨年九月、一九八五年に宇ノ気町と姉妹都市交流の協定を結んだドイツ連邦共和国メスキルヒ市に、「ハイデッガー記念史料館」が設立され、開館記念式典が開催されました。二十世紀を代表する東西の世界的哲学者が、二十一世紀に向けて新しい可能性を開いていくことを予感させる象徴的な出来事と言えましょう。
このような状況のもと、私どもは西田哲学についての研究や交流を推進する総合的な組織の必要を痛感し、ここに「西田哲学会」の設立に踏み切りました。
私どもは、本会が狭義の哲学研究者のための学会に留まらず、西田哲学に関心を有するすべての人々に開かれた国内外の交流の場所となり、時代の要請に応じた新しい思索を探りゆく基盤となることを願うものです。

西田哲学会理事会


創立年

創立:平成15年2月1日


 役員組織

(第7期、2021年度から2023年度。五十音順。敬称略。)

会長
美濃部仁

理事
秋富克哉、浅見洋、アントニオ・ネト・フロレンティーノ、石井砂母亜、板橋勇仁、上原麻有子、エンリコ・フォンガロ、大熊玄、太田裕信、大橋良介、岡田勝明、氣多雅子、小坂国継、斎藤多香子、白井雅人、田口茂、竹花洋佑、田中裕、藤田正勝、ブレット・デービス、松本直樹、水野友晴、美濃部仁、森哲郎、米山優、林永強、ロルフ・エルバーフェルト

編集委員

上原麻有子(編集委員長)、秋富克哉(副編集委員長)、石井砂母亜、白井雅人、竹花洋佑

 

幹事

石井砂母亜、石原悠子、猪ノ原次郎、太田裕信、熊谷征一郎、白井雅人、竹花洋佑、中嶋優太、名和達宣、フェリペ・フェハーリ、松本直樹、森野雄介

会計監査

杉村靖彦、長町裕司

*なお、西田哲学会の役員については、規約第7条以下をご参照下さい。


会員組織

西田哲学会の最大の特色は、西田に対する関心の広がりに応じて、会員を狭い意味での専門研究者に 限らず、広く一般の方に門戸を開いていることです。実際、例年の年次大会には、専門・非専門を問わず、大勢の会員が参加しています。ただし、年次大会では、初日の午前中に、一般の方向けのコーナー(講読部門)を設けています。
会員の区別については、規約の第4条を参照していただきたいと思いますが、A、B、Cの区別は、専門・非専門とは関係ありませんので、ご注意下さい。


会長あいさつ

会長就任挨拶   美濃部仁

この度、思いがけず西田哲学会の会長をお引き受けすることになりました。会員の皆様には、どうぞよろしくお願い申し上げます。お引き受けした以上微力を尽す所存ですが、私のもっている会長のイメージと私の知っている私自身がかけ離れているため、どうすれば会に貢献できるのか、思い悩んでいます。

高校の漢文の時間だったか、昔の天子堯が、天下が治まっているかどうか見に出かけたところ、老人が腹つづみを打ちながら、自分は自分のやりたいことをやっている、天子の力なんか関係ないという歌を歌っているのを耳にした、そして安心した、という話を読んだことがあります。学会の運営は国の政治とはずいぶん違うでしょうが、学会があることによって、学会がない場合よりも一人ひとりが自由に、また快適に自分のやりたいことができるというのが理想だという点では、似たところがあるように思います。

その理想は、言うまでもなく、何もしないことによって実現するものではありません。堯がそうであったとされているように、その実現にはほんとうの意味での大きな力が必要です。私の尊敬する先生がたが会長をなさっているときは、その人格と学識によって、アリストテレスの言葉を借りれば「愛される者が(愛する者を)動かすように」、ご自分では動かなくとも会が動くということが実現していました。三木清が西田について「先生と話していると勉強がしたくなる」と記していますが、これまでの会長にはそういうところがありました。それは一つの理想的な姿であろうと思われます。しかし、そのような会長であることは私には到底できそうにありません。私にできるのは、まずは、むしろ動けるだけ動いて、会員の皆様がそれぞれご自分の力を存分に発揮できる環境を整えることかと考えています。

西田哲学会は西田という個人の名前を冠した学会です。個人の名前を冠した学会では、その人の事績やテクストについての細かい穿鑿ばかりがおこなわれ、哲学に必要な広い視野が欠けてしまうのではないかという危惧が設立当初からありました。しかし、その危惧は現実のものにはなっていません。むしろ、西田という具体的人物がいてそのテクストがあることは、流行や思い付き、または思い込みにもとづく乱暴な議論を抑制し、本来の哲学的議論の場を確保しているように思われます。また、設立以来、本会では会員を狭い意味での哲学専門研究者に限定しないという方針を採用していますが、それは、哲学以前と哲学以後を問題にする本来の哲学のあり方を追求するために大きな役割を果たしていると思われます。私としましては、このようなすぐれた伝統を受け継ぎながら、会員の皆様がそれぞれ自分の問題を考え、また協力して自分の生きている「時代を思惟の中に捉える」(ヘーゲル)ことができるよう、できるかぎり工夫したいと思います。

皆様には、会をますます活性化するために、遠慮なくご意見をお寄せくださいますようお願い申し上げます。(2021年9月5日)