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第7回年次大会・シンポジウム 発表レジメ1

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◇第7回年次大会・シンポジウム
国家と歴史
発表レジュメ

国家と歴史の側から、西田幾多郎を問いなおす

植村和秀(京都産業大学)


本報告では、国家と歴史の側から、西田幾多郎の政治への関わりを問いなおしてみたい。まず第一に、「世界新秩序の原理」執筆に関連する西田の働きかけは、何か特別の政治史的意味を持ちえていたのか、という問いである。第二に、西田の政治に対する理解は、二〇世紀の国家と歴史にとってどのような意義を持ちうるのか、という問いである。そして第三に、西田の政治への関わりは、これからの国家と歴史にとって、どのような可能性を持ちえるのか、という問いである。これら三点の問いによって、本報告は構成されるものである。
第一の問いに関して、西田幾多郎の真剣さはともかく、その働きかけが実際に政治史的意味を持ちえた形跡は、さしあたり発見されえない。そしてそれは、政府当局者の無理解にあるのみならず、むしろそれ以上に、西田の側の二〇世紀型国家への無理解によるものではないかと、報告者は推測する。個人による個人への説得は、そもそも総力戦を遂行する巨大官僚機構にとって、それだけで政治史的意味を持ちうるはずはない、と考えるからである。
第二の問いに関して、もしも西田が、昭和十五年の山本良吉との対談での発言のままに、政治を人間の創造に貢献すべきものと考えていたのであれば、それは二〇世紀の国家への、根本的な異議申し立てとしての意義を持ちうるのではないだろうか。西田はこの対談において、「つまり政治というものの目的は、やっぱり、人間というものを形成する。・・・僕が創造と言う時は形成することだ」と語っている。しかし二〇世紀の国家の趨勢は、理念が組織の道具に貶され、思想も個人も消耗品として扱われ、政治が人間の創造とは無縁なシステムになる方向にあったように思われる。ソ連やナチス・ドイツのような全体主義国家を極端型とするこのような国家に対して、そしてこのような国家が時代の典型として猛威を振るった歴史に対して、西田の政治理解は譲るべきでない基準点を示したものであると評価したいと思う。
そして第三の問いに関して、西田幾多郎の政治との関わりは、これからの国家と歴史にとって、どのような可能性を持ちうるであろうか。創造を重視する西田の哲学は、十九世紀の国家と歴史には適合的で、二〇世紀の国家と歴史には適合的でなかったように思われる。そして今日、真に世界的な世界の中で、人間の創造は国家と歴史の新しい次元への突破を求められている。国家と歴史の側の根本的な転換によって、西田の哲学は、新たに政治的意味を持ちうるようになってきているのではないだろうか。