◇発表主旨◇
西田哲学の研究者ではない論者には、「自覚」概念の内実を披瀝することはできない。むしろその方法論について周辺の哲学との関連を指摘することで議論の糸口を提供し、多少なりとも「自覚」の理解に資することをめざす。そのために以下の論点の中から、時間の許すかぎり共に考えていきたい。
一、 純粋経験という唯一の実在からすべてを説明する『善の研究』に対して、「自覚」の方法論上の特徴は、「自覚的体系の形式によってすべての実在を考える」点にある。このとき「自覚的体系の形式」はたんに意識の事実だけではなく、何らかの方法ないし基準をも示しているように思われる。
1) 西田は、純粋経験を「力動性」「相関性」「一般性」「価値性」「意識性」「実在性」などの諸契機にしたがって分析し、かつそれぞれを当時の哲学思想との関連で考察し直しているとも言えよう。それは純粋経験の諸契機の分析にとどまるのか、あるいは諸契機から再構築しようとすることになるのか、「自覚」の方法論的可能性と限界について考えたい。
2) 上記の諸契機を考察するにあたり、「直観と反省」、「意味と事実」、「価値と実在」のような二項対立を基本として分析がなされている点を考える。「カントとベルグソンの統一」という目標を掲げる西田は、一般者ないし一般的真理と事実ないし現実の二分法に基づいてそれらの統一を求めるという方法をとっている。それはカントや新カント派の論理がもつ二分法、たとえば知覚判断と経験判断、感性的と不感性的などの区分とどのような関係にあるのか。またその方法はたとえば超越論的方法における分析的、総合的という区分で語りうるものだろうか。
二、 上述の二項対立を統一している「自覚」の基本的な視点は、個別的現実経験が一般者の自己限定によって自覚的に創出されていくことであるが、この点をとりわけ明瞭に示す箇所のひとつが彼の判断論だろう。
1) 個的現実を一般者の力動的自己発展とみなす西田の判断論では、論理は一般かつ個別の論理である。こうした論理の生成において、一般者と個別の相互同一性はどのように理解されうるのか。また、質料形相論に類似した妥当の段階性を主張するラスクや、知覚体験ではなく可能的経験一般という客体世界を主張するカントの思弁的超越論論理と比べて、西田の同一性の論理はどのような意味をもつのだろうか。
2) 西田によれば、判断とは根源的思惟体験としての超越的論理がみずからを具体的な論理的意識にもたらしているものである。したがって論理や判断は意識の自己生産活動そのものである。彼によればカントや新カント派の純粋統覚、知的価値ないし超越的意味もおなじく自己活動的な思惟体験であり、それが現実の反省や思惟活動などを成立させるのでなければならない。真の判断の意識とは意識自身の内面的発展の経験であるとされるが、こうした判断と意識との関係は、一般者の自己限定としてどこまで理解可能なものだろうか。
三、 自覚論の帰結は周知のように、「純粋意志のように、知識論に堕さない、知識を超越した原理の重要性」の強調であり、それに比すればわれわれの「知識の限定性」は「種々の世界の不可避性」をもたらすにすぎない。西田によればこうした帰結はカントへの回帰とされる。たしかにカントは「超越論的方法論」においてさまざまな理性使用を論じ、「さまざまな客体世界」への途を拓いた。しかし同時にカントは、実践的関心に基づく目的論的統一という収斂点をも提示している。さらに、たんなる純粋自我の努力に回収しきれない知の原理は存在と自由との間で遊動せざるを得ないが、それらを止揚し、高次実在論と高次観念論との統一をめざすことが中期フィヒテの根本課題であった。こうした点からの比較において、「種々の世界」論のもつ意義はどのようなものになるだろうか。
==============================================================================
自覚と哲学原理と西田哲学
岡田勝明(姫路獨協大学)西田哲学の成立する過程を追って、その展開をキーワードで示せば、「経験」「自覚」「場所」になるという理解は、一般的に受け入れられている。
すなわち西田哲学はまず、「純粋経験」を根本原理として、真の実在を説明しようとする試みとして始まる。そのさい「純粋」とは、たとえばカントにおいては経験を含まないことを意味していたが、西田においてはまったく反対に、一切の思慮分別を含まない主客の一なる「経験」そのものを意味する。
このような経験の根本形式を見いだす手がかりは、フィヒテの「知識学(Wissenshaftslehre)」(フィヒテは、近世以降の「哲学」は、人間の「知るという働き(Wissen)」を基礎にして成り立つと考えたので、「知識学」は「哲学」と同義である)の第一根本命題にある、と西田は考えた。「あらゆる意識の根抵に横たわり、これ在るによって意識を可能ならしめる」ものである「事行」(Tathandlung)を表す、フィヒテが提示した一切の知の第一根本命題とはすなわち、「自我は根源的に端的に自己自身の存在を定立する」である。主語の「自己(自我)」と、目的語の「自己」とは、主観となる定立する自己と客観となった存在する自己を意味していて、この命題は、主客の同一性と分裂の両者を一つに表現している。「自己が自己を知る」(フィヒテにおいて「定立」は「知る」とおきかえてもよい)ことが「自覚」であるから、西田はこのフィヒテの「事行」を「自覚」と言われる事柄として理解した。
しかし、「自覚」ということは本質的に「場所」ということに関わっている、すなわち自己定立は自己の於いて(平板な理解になるがまず一応、「於いて」とは「関わっていること」、すなわち「媒介されていること」と理解してよいであろう)ある場所に包まれている(「包まれる」ということ、これも一応「限定されている」ということとして理解されうるが、「自己」が「場所の自己限定」と考えられていることが踏まえられねばならない)、という観点が明確に捉えられるようになる。ここで西田哲学は、哲学の立場としても、主観性からの脱底を遂げる。
したがって自覚を表現する定式も、たんに「自己が自己を知る」ではなく「自己が自己に於いて自己を知る」となって、自覚の場所性が根源的な自覚のエレメントとなることが示されるようになる。
ところでこのように「場所」が決定的な意味合いを帯びてくる思索の中で、それらの思索を特徴付けるものとして与えられた著作の表題は、「一般者の自覚的体系」であり、次に「無の自覚的限定」であった。そのことは、場所という着想が解明しようとした主題が、自覚の論理構造であったことを示している。
「一般者の自覚的体系」の意味とは、「知の体系は一般者の『自覚』ということで説明できる」ということであろう。「体系」とは、一切の知の、ということは存在者の体系ということだから、「自覚」という形式が知と存在の根本形式であるということを、この表題は意味している。
また、自己の意味が、対象となりえない自己(無的自己)にまで届き、客観的自己(有的自己)は「形なきものの形」となって、自覚は両者の同一と把握されるようになる(「無の限定は自己限定である」ということが「自覚的限定」の意味であろう、またこの「自覚的同一」は「矛盾的自己同一」と術語化されていく)。
このような場所の自己限定としての「自覚」は、西田哲学において、知るという哲学の事柄の根本原理であった。「論理の理解と数理の理解」や、「知識の客観性について(新なる知識論の地盤)」というような論文からの展開として「自覚」が主題的に取り上げられた。知るという働きの根底は、「自己の中に自己を映す世界の自覚」であって、そこから知識の諸形態が基礎付けられる。
(このような試みは、フィヒテから言えば、まさに「知識学」の事柄である。後期フィヒテが「知」を「絶対者の映像」と理解するようになって、この立場からすべての知の現象形態を明らかにしようとしたことと、知の根底について相違する面があるにしても、相似た試みであった。両者において、深い意味での学問論、すなわち知るということの根拠そのものを探求し、そこから一切の知を基礎付けることが、「哲学」と考えられていた。ただしここで「知」とは、知識と行為の根源となるものである。)
「デカルト哲学について」において西田は、哲学の方法を「否定的自覚、自覚的分析」としている。哲学の内容とともに方法においても、「自覚」がキーワードである。
「場所」が「世界」という概念において具体化されていくのに平行して、ほぼ論文の主題名に(「自覚について」は例外であるが)、「自覚」という用語は登場しなくなる。しかし論文中においては、「自覚」という語は、常に登場している。このことは、哲学の原理としての「自覚」が見いだされた前半と(そのさい論文の表題に「自覚」が登場するのは当然である)、この原理によって真の実在とその具体的存在を次々に解明していく(原理論ではなくいわば現象論であるので、原理名は表題に出てこない)後半の西田哲学、という事態に対応しているからであると考えられる。
西田哲学を貫いて論じられる「自覚」という事柄は、西田が「哲学」の立場に立ち続けていたことを示す。その内容と形式において、西田哲学が西田哲学である要が、「自覚」という事柄であった。真の実在の探求を目指した西田哲学における「純粋経験」が、「知る」ということと「在る」ということと「自己」ということの、一なる根底であったのと、「自覚」も同様である。ただしそのことの論理構造を「場所的論理」と呼ばれるもの(その論理はなお主題的に解明されなかったとしても)によって支えられた「自覚」において、西田哲学は西田哲学という「哲学」の立場を獲得したと言えるであろう。さらに、デカルトやカントの「コギト」から、西田のいわばコギトである「自覚」において、西洋哲学はその根底から問題化する地平が与えられる。
さらに西田哲学が「自覚」を哲学の根本原理としていることは、哲学であることを貫いてしかもその終局に宗教を臨む哲学という地平が開かれていることを示している。当所の問題に自己が入っていないと哲学にならないが、「自覚」の「自」は「自己」の事である。また「自覚」の「覚」は「覚醒(般若によって得られた菩提)」でもあるからである。
西田哲学は、以上述べたような意味において、「自覚の哲学」であった、と言えるであろう。後期西田哲学の用語は相互に互換性をもつのであるが、行為的直観や、絶対矛盾の自己同一も、また逆対応ということも、「自覚」の成立構造を語る用語であったと考えてよいであろう。あるいは「自覚」を焦点にした用語であったというように見ることで、西田哲学を見る焦点が絞られると思われる。「歴史的世界の根抵となる永遠の今の自己限定」が、「個物的自己と一般的限定との弁証法的自己同一」と考えられるようになって、「世界から自己を見る」ことにおいて、自覚もその最終的在り方が見極められるようになる。