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年報・会報

事務局

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「会報」 (全会員に、年度内11月頃に最新号が送付される学会紙です)

第13号(平成27年11月発行)
第12号(平成26年11月発行)
第11号(平成25年11月発行)
第10号(平成24年9月発行)
第9号(平成23年11月発行)
第8号(平成22年11月発行)
第7号(平成21年11月発行)
第6号(平成20年11月発行)
第5号(平成19年11月発行)
第4号(平成18年11月発行)
第3号(平成17年9月発行)
第2号(平成16年11月発行)
創刊号(平成15年11月発行)

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『年報』 (B,C会員に、年度明け7月に送付される学術誌です)

★第13号(H28.7発行予定)掲載論文の公募について

 

第12(平成27年7月発行)

<講演録>
日本思想史における西田哲学の意義 ― 高橋・西田・田辺 - 田中久文

轉轆轆地 ― 禅と西田先生 ― 北野 大雲

<シンポジウム「西田幾多郎と鈴木大拙」>
〈場所と即非〉 ― 「行為の論理」として 森 哲郎
西田と大拙の真宗理解をめぐって 竹村 牧男

<公募論文>
西田哲学における「他者」と「超越」 喜多 源典
「表現」の否定的構造について - 『哲学論文集 第三』における現象学的真理論 丹木 博一
西田哲学と親鸞教学 ― 「逆対応」の可能性 名和 達宣
物は衝動する ― 西田幾多郎『無の自覚的限定』における身体に関する転回をめぐって 森野 雄介
「場所の論理」はなぜ判断論から導き出される必要があったのか - バーバード・ボサンケー受容を参考に 八坂 哲弘
西田哲学と天台仏教 - 東アジア哲学の観点から - 朝倉 友海
ひとつの世界がもつ多くの意味。1930年代の西田およびハイデガーの思想と今日の環境危機についての考察 ジョン C. マラルド
The Many Senses of the One World: Reflections on Nishida’s and Heidegger’s Thought in the 1930s and the Environmental Crisis of Today

<書評>
小林敏明著『西田哲学を開く - 〈永遠の今〉を巡って - 』 中嶋 優太
The Journal of Japanese Philosophy 創刊号 石原 悠子
杉本耕一著『西田哲学と歴史的世界 - 宗教の問いへ』 白井 雅人
『年報第十一号』書評 守津 隆

第11(平成26年7月発行)

<講演録>
西田の場所の思想における叡知的なるもの 嶺 秀樹
西田の場所はキリスト教哲学・神学を変革する 門脇 佳吉

<シンポジウム「技術」>
純粋経験から行為的直観へ ― 技術が問われるところ 秋富 克哉
生と思考のテクネー 中岡 成文
技術の創造性 : 西田幾多郎と技術の哲学 村田 純一

<公募論文>
西田幾多郎とエミール・ラスク 石原 悠子
「現代」とは何か ― 三木清のフィヒテ批判 玉田 龍太朗
グローバル社会における科学技術 ― フィーンバーグの西田論 大家 慎也
表現としての哲学 ― グローバル哲学の新形態へ向けて コプフ・ゲレオン

<書評>
小坂国継著『西田哲学の基層―宗教的自覚の論理』 美濃部 仁
竹村牧男著『〈宗教〉の核心―西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』 氣多 雅子
大橋良介著『西田幾多郎 ― 本当の日本はこれからと存じます』 田中 裕
『年報第十号』書評 太田 裕信

第10(平成25年7月発行)

<講演録>
西田哲学とキリスト教 田中 裕
西田先生と私の精神病理学 木村 敏

<シンポジウム「無」>
プロティノスの一者との西田の絶対無 岡野利津子
〈無〉理解の透徹へ向けての思索的《試み》 
  ―マイスター・エックハルトにおける〈無をめぐる問題脈絡〉と西田幾多郎の下での〈無の思索〉の交差に向けて―長町 祐司
無のダイナミズム 氣多 雅子

<公募論文>
重なりと透かし ― 西田幾多郎『善の研究』における過去と現在の関係について 松本 直樹
『現代哲学辞典』に関する文献的比較考察 ―三木清を中心とする哲学辞典編集史の一端―
                                                     三宅 浩史
西田幾多郎の身体論から女性の顔についての考察へ 上原 麻有子
西田幾多郎における「創造」 石崎 恵子
西田の多文化的世界観 ― その現代的意義および内在的批判 ― ブレット・デービス

<書評>
嶺秀樹『西田哲学と田辺哲学の対決 場所の論理と弁証法』 岡田勝明
斉藤慶典『「実在」の形而上学』 井上 克人
藤田正勝編『『善の研究』の百年 世界へ/世界から』 板橋 勇仁
『年報第八号』書評 石井 砂母亜

■第9号(平成24年7月発行)

<講演録>
『善の研究』における「表現」思想 森 哲郎
経験と自覚 ― 『善の研究』百周年に際して 上田 閑照

<シンポジウム「私と汝」>
一到達点としての「私と汝」 ― 片柳 榮一
〈境界〉のラディカリズム ― 西田幾多郎とマルティン・ブーバーにおける媒介の論理について 小野 文生

<公募論文>
西田幾多郎とハイデガー『存在と時間』 ― 存在了解と自覚 ― 太田 裕信
地下水脈としての内在的超越 ― 明治宗教哲学者群像 ― 水野 友晴
西谷の宗教に対するリアリゼーションと根源的な悪の自覚 メラニー・コクリン
「創造的世界の創造的要素」としての「人間的存在」 西塚 俊太

Bracketing (even) Meaning? Nishida’s Concept of Pure Experience from the Standpoint of the Husserlian Reduction  ヴァンサン・ジロー
The Giotto’s O – Some considerations about the reception of the Italian translation of Zen no kenkyu エンリコ・フォンガロ
The Fragments Concerning Pure Experience And The Zen No Kenkyu アグスティン・ハシント・ザヴァラ

<書評>
井上克人著『西田幾多郎と明治の精神』 秋富 克哉
藤田正勝『西田幾多郎の思索世界 純粋経験から世界認識へ』 田中 久文
『年報第八号』書評 杉本 耕一

■第8号(平成23年7月発行)

<講演録>
西田の禅思想をめぐって ―逆対応から平常底へ 竹村 牧男
西田先生と私 ―運命的緊張の永続 今道 友信

<シンポジウム「身体」>
世界と身体 ―ベルクソンの「イマージュ論」から西田の「弁証法的世界」へ 安藤 恵崇
身体と混血 谷 徹
芸術と道徳としての身体 ―ニーチェの場合 須藤 訓任

<公募論文>
西田、ジェイムズ、パースの比較試論 ―『善の研究』における論理的なるもの 石田 正人
西田哲学における愛の問題 ―キリスト教との対話と『無の自覚的限定』 石井 砂母亜
『意識の問題』における芸術的経験の位置 中嶋 優太
『働くものから見るものへ』における言語の問題 日髙 明

The emancipation of the concept of the
individual in Nishida Kitaro’s philosophy ステリン・ローラン

<書評>
山形頼洋・三島正明著『西田哲学の二つの風光 ―科学とフランス哲学』 米山 優
山本晃著『西田哲学の最終形態~精神病理学のみかたから~』 白井 雅人
氣多雅子著『哲学書概説シリーズX 西田幾多郎「善の研究」』 杉本 耕一
『年報第七号』書評 竹花 洋佑

■第7号(平成22年7月発行)

<講演録>
西田・田辺哲学とシェリング  藤田 正勝
私と汝 ―人格的世界 小坂 国継

<シンポジウム「国家と歴史」>
国家と歴史の側から、西田幾多郎を問いなおす  植村 和秀
歴史的世界の個性的な自己創造と国家 ―西田哲学における「国家」と「民族」 板橋 勇仁
西田の国家論の特質とその問題点 田中 久文

<公募論文>
映画的知覚の論理と外部性 西田における叡智性概念 小田桐拓志
西田・西谷における論理 満原 健
西田哲学についての論述の試み ダリシエ・ミシェル

Nishida’s Nothingness and Nagarjuna’s
Emptiness: Descriptions and Comparisons イーエン・メーギル
Locus and Space The Concepts of Time
and Space in the Evolution of Nishida’s Philosophy アンドレーア・レオナルディ

<書評>
浅見洋著『西田幾多郎―生命と宗教に深まりゆく思索』 秋富 克哉
小坂国継著『西田哲学を読む一』『同二』『同三』 浅倉祐一朗
竹内整一著『「かなしみ」の哲学―日本精神史の源流をさぐる』 浅見 洋
『年報第六号』書評 熊谷征一郎

■第6号(平成21年6月発行)

<講演録>
科学哲学者としての西田幾多郎  野家 啓一
時と鏡 -西田哲学に於ける実在の論理- 井上 克人

<シンポジウム「哲学と芸術」>
哲学と建築論  香西 克彦
哲学が持ちうる芸術美とはどんなものか? 米山 優
『芸術と道徳』に於ける西田幾多郎の美学思想と「行為的直観」について 大熊 治生

<公募論文>
西田哲学と芸術 ~K・フィードラーを中心に~ 浅倉 祐一朗
文化から道徳へ -『師弟問答 西田哲学』をめぐって-  三宅 浩
「場所の論理」と「基体」概念 -西田哲学の知識論- 城阪 真治
The Essence of Sympathy in Nishida’s Philosophy  張 政遠
“Rationality “in History:Nisihida Kitaro and Mou Zong-san  林 永強
The first-person authority and Nishida’s practical philosophy 小田 桐拓志

<書評>
藤田正勝『西田幾多郎 -生きることと哲学』  小坂 国継
板橋勇二著『歴史的現実と西田哲学 -絶対的論理主義とは何か』  湯浅 正彦
『理想 No.681 特集 西田哲学の諸問題』 板橋 勇仁
『年報第5号』書評  白井 雅人

■第5号(平成20年7月発行)

<講演録>
相関と反転 -文の構造と意識の運動に即した場所的論理の解明- 大石 昌史
西田幾多郎と三宅剛一 -「歴史」ということをめぐって-  酒井 潔

<シンポジウム「西田における哲学と宗教」:提題>
西田における哲学と宗教 -ハーツホーン、滝沢、トマスとの対話のなかで- 延原 時行
西田における哲学と宗教 -禅の立場から-  山田 邦男
西田の親鸞・真宗観にみる哲学と宗教  築山 修道

<公募論文>
フロティノスと西田幾多郎 岡野 利律子
場所論から見たニヒリズムの問題 冲永 宜司
時間と実在 -『無の自覚的限定』から-  石井 砂母亜
西田哲学における連続性 -C・Sパースとの比較において-  清水 高志

<書評>
『西田哲学会年報第4号』書評  田中 久文

■第4号(平成19年7月発行)

<講義録>
場所的論理と浄土教  長谷 正當
空と無 そして絶対 -西田哲学を手がかりに-  斎藤 慶典

<シンポジウム「生命」:提題>
西田幾多郎と生の哲学  檜垣 立哉
世界的生命  吉田 真一
西田の生命論といのちの教育  岩田 文昭

<公募論文>
状況的行為としての行為的直観 -主知主義の立場を越えて- 張 政遠
西田哲学における「推論式的一般者」の意義について 藤城 優子
戸坂潤の西田哲学理解  守津 隆
西田幾多郎における「日本」 -『日本文化の問題』を中心として- 林 永強
否定性と当為 -後期西田哲学の展開に向けて-  白井 雅人
ヘーゲル判断論と西田哲学  立花 洋佑

■第3号(平成18年7月発行)

<講演録>
純粋経験としての歴史 大橋 良介
現象学と西田哲学とが出会うところー行為的直観の論理についてー 新田義弘

<シンポジウム:提題>
「自覚」の形式と諸契機ーカントおよび新カント派と西田の視点ー 大橋 容一郎
直接経験の「自覚」 ー西田哲学を一貫するものー 岡田勝明

<公募論文>
ボサンケーと西田幾多郎 片柳 栄一
西田幾多郎の自由意志論 -自由と悪の問題をめぐってー 田口 茂
悲哀における自覚 -西田哲学においてー 熊谷征一郎
現象学の原理と西田哲学 大西 光弘
西田哲学からみたジャコメッティの人体彫刻 ー純粋経験としての彫刻制作とその射程ー 島本 英明

■第2号(平成17年7月発行)

<講演録>
西田と数学 松丸 壽雄

<シンポジウム:提題>
純粋経験の論理 - <統一的或者>が意味するものー 井上 克人
イシスのヴェール -純粋経験をめぐってー 小林 信之
「純粋経験」の宗教的側面 K. リーゼンフーバー

<海外における西田研究の動向報告>
西田哲学と現代音楽 Rolf Elberfeld

<公募論文>
西田哲学と芸術ー「場所」の立場における芸術の意義ー 浅倉祐一朗
西田他者論における転回ー共感的一致から応答的結びつきへ 熊谷征一郎
西田幾多郎における種の概念の問題性 佐々木慎吾
西田における絶対矛盾的自己同一の重層性 -歴史的世界と宗教的世界との重なり合い 鈴木耕一
実在の論理の探求 -西田とホワイトヘッドー 村田 康常

■創刊号(平成16年7月発行)

<講演録> 哲学と宗教 大峯顕

<シンポジウム録>
場所の論理と行為的直観 小坂国継
場所の詩学ー座の文藝に関する一考察ー 田中裕
西田哲学の場所 藤田正勝

<海外における西田哲学の動向報告>
海外での西田哲学研究(その一:英語圏、フランス語圏、ドイツ語圏) 有坂陽子
THE TASK AHEAD FOR NISHIDA STUDIES IN MEXICO Dr.Agusin Jacinto Z.

<公募論文>
西周と西田幾多郎ー明治哲学の成立に関する一考察ー 水野友晴
西田哲学と「歴史哲学」 杉本耕一
私と汝の諸相 白井雅人
すべての経験は純粋経験である 重久俊夫

<書評>
板橋勇仁著『西田哲学の論理と方法』 中川明才